ベースとわたし

今日はわたしとわたしの相棒(ベース)の話。わたしとこのベースとの出会いはもうすぐで11年前でしょうか。ウッドベースを飛行機で運ぶ料金もバカにならなくて、高校卒業してやっとの思いで手に入れたベースを日本に置いて11年前スーツケース一つとエレベを背負ってボストンにやってきました。奨学金はもらえても学費は高いし、暮らしいくのもボストンってお金がかかるんですよね。当時は学校に行くことだけで頭がいっぱいだったので学校には数年しかいないんだから!って学校が始まる前に近所の楽器屋さんに早速行って一番安いベースを探しました。もちろんそのお店には良い楽器がばーっと並んでいるので欲しい!!という気持ちを押し込めていた記憶があります。見つけたのは中国産のプライウッド。ベニヤっていうのでしょうか。新しくてピカピカしていました。他のベースよりバイオリンに近い形でくびれてていいなと思いました。もちろん一番安いし。で、そのベースを月々レンタルさせてもらっていました。その後、楽器屋さんの計らいでそのベースの月々のレンタル料を積み立てとして、差額分払ってくれたら君のものにしてもいいよ、(もちろんずいぶん弾いていたので返されても。。。ということもあると思いますが)といわれ今日こうして一緒にいます。まさか自分もベースも11年も一緒に生きていくなんて当時は思ってもいなかったでしょう。それがわたしとこのベースとの出会いです。でも卒業してから8年。アメリカで活動していくことを決め、これを仕事にしはじめてからこの楽器を使っているのがだんだんコンプレックスにも感じるようになりました。ただでさえこんなひょろい子がギグに現れて初めて共演する人なんて「大丈夫なのかな?」って見てくるのに、ベースを楽器ケースから出したら「オーノー」って思われてるんじゃないかっていつも思っていました。音は悪くないんだけど。もちろん演奏したら「おーいえー!」って言わせられるんだけどね。みんな百何十万のいい楽器を使っているのに。。。収入も安定しないので楽器に投資する勇気もないままこんな気持ちを抱え続けてきました。そんなある日!乾燥した気候にわたしの日々の不注意、地下鉄のドアにゴン!ゲートにゴン!ここです。ボディの下の方。ぱっかり。A弦を弾くと酷いノイズが私の体を伝って聞こえてきます。こんなことよくあることなのかもしれないけど、ショックでした。何にショックだったかってベースの悲鳴。「こんな私だけどがんばってるよ、もっと大事にしてよ」って言っているようでした。運悪くその次の日はレコーディングだったので、大急ぎでリペア先に電話をしました。でも運良く先日友人の紹介でロン・カーターやラリー・グラナディアなども御用たちの元ベーシストリペアマンに出会ってその人が忙しい中修理を引き受けてくれました。リハとギグの合間にベースとともに彼の元へ診察へ。もちろん写真の箇所以外にも問題点が見つかり、その後ベースを入院させ身一つで地下鉄に乗ったらなんかとってもさみしくって。たった一晩なのに家にあの大きなのがいないと空っぽな感じでした。次の日ベースを引き取りに行きました。弾いてみるとまるで生まれ変わったようで全身を一生懸命ふるわせて音をならしているベースと再会しました。直してくれたリペアマンのベースへの愛というのがこの仕事ぶりを見て伝わってきました。このことをきっかけにいろいろ考えさせられました。もし自分が百何十万のベースを持っていても同じような扱いをしたかもしれない。どんな価値のある楽器でもない楽器でもお客さんに自分を魅せるのに手伝ってくれるのには変わりないんだ。どんな楽器でも私を価値のあるものにしてくれる。2、3週間日本ツアーで留守しているとしばらくはなんだかふてくされてるように扱いにくくなったりするベースなんですが、2人3脚でがんばってきた相棒をもっと大切にしないと!と思いました。学生の練習用のベースにしてはもう弾きすぎてかガタガタで来年にはボロっと崩れるかもしれないよともいわれました。わたしもどんどん自分が欲しくなっている音を追求しているからいつかは手放すことになるけど、その時が来るまで大切にするからね。いつかいい楽器弾いてみたいな。みんなも自分の楽器を大切にね。おまけ。先日のラジオレコーディングの様子です。興味のある方はぜひ聞いてみて下さい。http://wfmu.org/playlists/shows/49941なぜだかバンド名は”The Happy New Years”ちょっと売れなそう。。。?ではまたね。