NYの幼稚園と日本の幼稚園

 Withコロナの生活が定着してきた今日この頃。ですが、日本全国、都内感染者がまた増加していて安心ができないですね。そんな中、子供達が通う幼稚園も先生方の涙ぐましい努力のもと、再開しました。毎日「やったー!今日は幼稚園だ!」って出かけていく子供達を見るのは嬉しいものです。

 私は今年帰国するまでNYで子育てをしていたので、NYの学校(いわゆる幼稚園)と東京都八王子市の幼稚園の文化の違う2つの幼稚園を体験しています。全く正反対なので面白いと思い、今日はシェアしてみたいと思います。

 まずはNYの学校。今五歳の娘は4歳になる年に1年間プリスクール(Pre-K)に通い、翌年からはキンダーガーデンに進みました。キンダーは9月から引っ越すまで5ヶ月しかいなかったですが、そこからは八王子市にある幼稚園に通っている現在に至るというわけです。

 学校や幼稚園は学区などもありますが、選択できるなら絶対に見に行ったほうがいいですね。私は「感覚を使って」選びます。Pre-Kを決めた時は、近くの学校には入れずにやけに遠いところに登録されてしまい困っていたのですが、いい学校かもしれないので見に行ってみることに。アメリカは場所によって貧富の差が激しく(今それがとても問題になっていますね)、教育も友達も治安も変わってくるので学校選びも慎重になります。治安が良さそうでも学校で銃乱射事件なんてアメリカでは起こるので怖いです。なので私は「感」を頼りに決めます。そこの学校は行ったこともない、ブルックリンでも随分南の方のPre-K。案内してもらうと、明るい校舎にたくさんの子供達の作品、何より雰囲気が良くてワクワクしてきました。何より先生たちの温かい眼差しが印象的で遠くてもここにしようと決めました。

 アメリカの学校は小学生までは親の送り迎えが必須。娘が通っていた幼稚園へは雨の日も風の日も雪の日も自転車で通っていました。もちろん電動ではないアナログな自転車なので最初は汗だくになり、結構いい運動になりました。

通わせてみたらやっぱりいい学校でした。毎月トピックがあって今月は『建物』といろんな建物を勉強したり、研究したり、作ったり。『リサイクル』『生き物の成長』『乗り物』などなど。たくさん遊ばせてくれて、遊びを通していろんなことを学ばせてくれるいい学校でした。

卒園式の様子。ザ・アメリカンな感じでしょ?歌やダンスを披露してくれてあの一生懸命な姿に私たち夫婦は号泣してしまいました。 英語が全く分からないまま、放り込まれた世界に馴染み、たくましく楽しく、Pre-K生活を送っていた娘に頭が上がりません。

 幼児期、泣き虫だった私には同じこときっとできなかっただろうな。。。

 Pre-Kはこの字の通り、プリ・キンダーガーデン。学校に慣れるために通わせる学校ですね。すっかり学校での集団生活に慣れた頃にいざ、キンダーガーデンへ。

 学校にもよると思いますが、うちの娘が入った学校はキンダーガーデンへ入った途端、お勉強モードへシフト。

やっと自分の名前が書けるようになったかな?くらいの子供達が毎日のように宿題を持ってくるではありませんか!英語と算数の宿題を毎日。日本の教育で育った自分には理解不明!こんな小さな子に毎日鉛筆持たせてお勉強?私なんて幼稚園でただ走り回っていただけなのに。ママ友によるとNY市のキンダーガーデンはどこも同じ。毎日宿題があるらしい。しかもテストまであって成績表まであるではありませんか!絵を描くのが大好きな娘の作品もだんだん減っていったのはこのころからだったかな。

郷に入っては郷に従え。

このころの娘は「学校に行くのはあかりのお仕事なんだよ。」といっておりました。幼児期は思いきり遊ばせてあげたいと思う親御心はそのころ大きく揺さぶられました。それでも毎日宿題をこなしていくので、こんなにチビでも簡単な文章を英語で書けるようになったし、足し算もできるようになりました。いずれ学ぶのだから、やりたくなきゃ、やらないでもいいと思ってはいましたが、真面目な性格なようで嫌な時は殴り書きしてまで毎日宿題を持っていっていました。

 引っ越す前の1ヶ月は英語の補習クラスが授業が始まる前にあるということで、ダメ元でやってみたら?と話してみたら、やる!というのでその一週間は日が昇る前に家を出ていって朝から人より勉強をしていました(涙)おかげで親が娘に教えてもらうほど、発音がしっかりしました。20年もアメリカ生活していた大輔さんの発音は娘によると「全然だめ」らしい(笑)

でもいい友達にも恵まれ、先生も大好きなようで、引っ越すことを伝えたら先生を含めた家族みんなで涙ぐむなんてこともありました。これはこれでいい学校。

 そんなこんなで今に至るわけです。娘に加え、今度は3歳児枠で息子も東京都八王子市にある『なかの幼稚園』に入園しました。

アメリカ生活18年の私が行ってみたこともない地域の幼稚園探しなんて目をつぶりながら水の中の魚を捕まえようとするようなもので、???でした。家族の協力のもと、いくつか候補を出してくれていて、第一1候補がっこの幼稚園でした。幼稚園バスのバス停まで手繋ぎ。この姿に毎日癒される母です。

 登園初日は文化の違いにカルチャーショックを受けるか?と思っていたのですが、バスから降りてきた娘は大きな笑顔で「楽しかった!」と。おちゃらけまくってご機嫌で相当楽しかった様子でした。

ここの幼稚園って自由でいいらしいね、と噂は聞いていたのですが、どのくらいの自由なのかはよくわかっていませんでした。私服だからか?自由時間が多いからか?

弟の孝太郎も初めて親元を離れても毎日楽しそうに出かけて行きます。

 自由な幼稚園?その謎が解けたのは、孝太郎の一日入園の日でした。1日入園と言っても慣らし保育で何日か2、3時間親と一緒に幼稚園を体験するというものでした。その時に、朝、年長の娘と園庭で別れ、私は孝太郎とクラスへ。テラスで遊んでいると、すぐに園庭で遊んでいる娘。「どうしたの?朝の集まりないの?」と聞くと「集まりの時間まで遊んでていいのー!」と。それがずーっと部屋に入る気配のないまま時が経ち、砂場で遊んでる子もいれば、部屋の中で空き箱で作品を作っている子もいる。そのうち「ドロケイ(ケイドロ)やるよ!」の掛け声に急いで帽子を教室に取りに帰り、靴を履いて飛び出してくる娘。先生と友達と思いっきり鬼ごっこをやって楽しそうでした。そのうち、なんか疲れちゃった、って私と孝太郎のところに来て一緒に砂場で遊んでみたり。先生に聞いてみると、「いつもこんな感じですよ〜。」とニコニコ顔。体験入学が終わってからは「あかり〜、遊ぼ」と孝太郎がお姉ちゃんのクラスに行ったりもするらしいです。ちびたちを何十人も自由にさせておく方が大変そうですが、先生たちはすごい寛大に見守っていてくれています。素晴らしい。

 今までの学校とのギャップにびっくり!そりゃ毎日楽しいはずだ。でも楽しいだけじゃなくて毎日お手伝いも進んでしてくれるようにもなったし、弟の面倒も良くみてくれるようになった。。。すごいな。もちろん、クラスで集まって本を読んでもらったり、何かを作ったりすることもあるようですが、子供主体の幼稚園。今までは土さえ踏めず、コンクリートやゴムの地面で走り回っていた子供達。ここに引っ越してきてからは2、3日に一度のペースで泥だらけの靴をニヤニヤしながら洗う私です。今日はダンゴムシとミミズなんびき捕まえたよ!とかジャガイモ植えたよ!とか、そうそう、私はこういう風に子供達を育てていきたかったんだって実感しています。

あかり作のおもちゃ。すごく機能的でクオリティの高さにびっくりさせられます。園長先生まで作るのを手伝ってくれたみたいです。弟のおもちゃまで作ってくれる心の余裕も感じられます。

一体、どんな子供達に育つのでしょうか?楽しみです。

そうそう、子供達が留守の間に音楽制作もしてます。本業ですからね。天狗が見守ってくれている街より愛を込めて。ぜひ聴いてください。

ジャスベーシストママの子供の育て方

 先日書いたブログで『子供を放置して、親は練習』というところにたくさんのママから『どうやったらそんなことできるの?』反響があったので、自分の生活を振り返ってみました。

そういえば、こんなこと思い返しているこの瞬間だって彼らは勝手に二人で遊んでいるではありませんか。なぜだろう?みんなの家もてっきりそうなのかと思ったらそうではないみたい。

よく「うちはかまってちゃんだから、ずっと相手してないといけないから大変!」とか、「ご飯の準備さえできない」とか、ママ友から話を聞いていました。私は子供はみんな性格がちがうからね〜、いろんな子がいるからそういうもんだよ。って言ってたし、思っていたんだけど、気づいたらほとんどのお母さんがそんなこと言ってたりするのは気のせいかしら?逆にうちなんか放置時間(勝手に遊んでいてくれている時間)が長いのでこっちの方が変なのか?と思ったり。

でも子供が勝手に遊んでくれている方が親も手が空いて楽なことは一緒ですよね。料理も一品余計に作れちゃうかもしれないし、好きな本も読めるかもしれないし、ミュージシャンママなら練習もできるし、曲も書ける。オシャレだってする時間できるし、考えたらキリがないですね。ワクワクしませんか?もちろん、BC(ビフォーチャイルド)の時のような自由は全くないけど、少しでも自分に余裕ができたらお母さんもキラッと輝けるのかも。そうしたらニコニコ笑顔が増えて、子供達もハッピーでお父さんもハッピーになるから、安心した子供たちが更に勝手に遊んでくれるようになる!なんていいサイクルなんでしょう!!私も日々イラっとすることも少なくないのでこれが理想の生活です。

 さてそれではどうしたら理想のサイクルに持っていくことができるのか。子供の頃を思い出してみてください。お母さんに遊んでもらったことって覚えていますか?私がもしかしたらおかしいかもしれないけど、私は覚えていません。(お母さん、ごめん!)きょうだいと遊んだ記憶が強いですね。母との思い出は私がきょうだいに泣かされて台所で料理している母の足元で悪行を言いつけ、「言いつけ口する子は好きじゃありません!」とまた怒られ、ぶえーん!と更に泣いた毎日。私の母はいつも私たちを見守りながら、家事をして、友達と長電話したり、内職してたり、パッチワークしてたり、刺繍してたり、パンフラワーやってたり、エアロビクスに通ってたり、今考えると自分の好きなことも一生懸命楽しんでいたように思えます。みんなのお母さんはどんな感じでした?

 最近読んだ子育ての本に『ママー!!見て!見て!』と子供がアテンションを欲しがるのは現代病らしいと書いてありました。本当にそうなのかはよくわかりませんが、うちの母のようにフル・アテンションを与えなくても私のように若干、不思議ちゃんではありますが、そこまで問題児には育たないという結果が出ています。これもそういう性格だからというのもあるのかもしれないけど。

そんな母はかっこよかったので私の憧れの存在でした。きょうだい3人もいたから母を独り占めできる時間はとても貴重ですごく特別な嬉しいものでした。キラキラしている母が好きだったから刺繍やパッチワーク教えてもらったり、他にもいろいろ真似していました。結局、父の真似をしてたら今こんな風な職業についたんですが、それはまた今度書こうかな。何かに没頭している人って素敵で人は邪魔できないのではないかな、と思います。それは子供も感じるはず。子供の方が小さくても感受性は強いので、親の姿なんて特によく見ているので私はそう思います。

 私は子供の安全を確認するという義務があるので、リビングで様子を見つつ、同じ空間で練習をします。子供たちもせっかく遊んでいるのにギコギコ、ベンベンうるさいな、と思っているかもしれませんが、特に何も絡んでこないまま、1時間くらいはそんな状態がキープできます。一曲弾き終えると、「お母さん、今のかっこよかった。(5歳児)」「うん、かっこよかった。(2歳児)」とコメントくれたり、拍手してくれたりします。時には「もう終わった?」とか言われる日もありますが、お互い無理のなく同じ空間にいることは間違い無いと思います。親の本気度が子供を諦めさすのかもしれませんね。逆に私がスマホ見てる時の子供たちの邪魔の入り方はすごいですね。こっちが諦めます。

 でも私は放置教育を進めているのではなくて、それと同時に子供が親を必要としている時をちゃんと見極められるように心がけています。例えば、褒めて欲しいとき。娘が「勉強をする!」とわざと聞こえるように宣言をしてカリカリ。数分後に「お母さん、できたよ!」。こういう時はできる限り見てあげます。どのお母さんもそうしていますよね。でも見ていたテレビを消して。見ていたスマホを置いて。料理していたら火を一旦止めて。ちゃんと私は娘に3分ほど向き合うようにしています。どうしても見てあげられない時は、理由を言ってちょっと待ってもらう。そして一旦区切りがついたら必ず戻ってきてあげる。それをしていたら、子供もアテンションを欲しがらなくなりました。あくまでもうちの場合ですが。

 さらに私はスキンシップが好きなので、子供達にぶっちゅーしまくり、くすぐったり、ハグしまくったり、寝る前はこれでもかって言うくらい「大好きよ」って言って寝ます。まだチビだから喜んでくれるけど、いつまでさせてくれるかな?と思うとちょっと今から切なくなります。

 あとこれはパートナーの大輔さんのおかげですが、NYでは大輔が私のギグにチャンスがあれば子供たちを連れて遊びに来てくれました。そのおかげで大きなステージに立ついつもと違うお母さんを見ることができて娘は大興奮。演奏後にステージを降りると、キラキラした目で「お母さん、かっこよかった!」ってギュッてハグをしてくれた娘。言葉にできない感動的な瞬間でした。子供達がこのためにお母さんはギコギコ、ベンベン練習しているのかと思ってくれたのかもしれませんね。

 と、私の場合の子育てはこんな毎日です。もちろん完璧では全然ありません。イライラして毎日子供達を急かすので娘からつっこまれたり。旦那もミュージシャンで仕事は不定期なので家で協力してくれることも多い方だと思います。フルタイムで働くお父さんをサポートしているママさんたちには当てはまらないことかもしれません。でもこんな変なママがいるんだと思ったらおかしいかなと思ってシェアしました。

18年ぶりに日本で暮らしてみて思うこと 家編

 18年もあったら、オギャーとこの世に生まれてきてから、車の免許が取りに行けるようになる年頃まで成長できる年月ですよね。長い。

 ブルースくらいしか自信を持って弾けなかった当時19歳のジャズの虜になったオタッキーな田舎娘が、ボストンでの学生生活を終えた後、ニューヨークに移り住みました。あんなことやこんなことを経験し、結婚をして、家族と共にこの度18年ぶりに日本での暮らしをスタートさせました。生活が落ち着いてきた今(コロナウイルスで本当に落ち着いたとは言えないけど)、何を感じているか、ちょっと書いてみます。

 帰国してからはギグもなかったので、今はほぼ90%くらい家事をしています。

 朝起きて、まずトイレ。そう、トイレ。ブルックリンの前の家は古くて、陽当たりもあまりよくはない家でした。すきま風に天井も高いものだから寒い寒い。トイレなんてとっても寒くて、冬場外がマイナス10数度の時の便座は罰ゲームのようにヒンヤリ。座った瞬間、全身に鳥肌が立ちます。

ところが、そう。日本のウォシュレット。便座まで温めてくれるなんて、なんて心遣い。それが我が家にあって毎日お尻を暖かく迎えてくれるなんて!感動です。

 次に私がやることは、洗濯を回すこと。NYに住む人たちはよくわかると思うけど、ランドリーに何日ぶんの家族の洗濯物をサンタさんのように持っていかなくてもいいんですよ!洗濯物入れて洗剤入れて『ぴ!』ってやれば。我が家も子供が生まれてからは内緒で小さい洗濯機を導入していたので、ランドリーに行く機会は少なかったですが、洗濯機の使用による水漏れを嫌がる大家にバレないようにヒソヒソしているのが肩身狭い思いして嫌でした。しかも水漏れしないようにうちでは毎回バケツを2個使って水を組み入れてバスタブから排水していました。あの肩身の狭い、毎日のバケツリレーのような生活が、気持ちよく『ぴ!』になったわけです。

 そしてキッチンに行くと、ふんわりいい匂いが。昨日仕込んでおいたホームベーカリーから焼きたてのパンが出来上がっているのです。新鮮な卵で作った目玉焼きと、新ジャガをきつね色にソテーしたもの、季節の緑の葉物野菜を塩胡椒で炒めたものをフレッシュコーヒーとともに。。。

ある朝は納豆ご飯に生卵、ほうれん草の胡麻和えと味噌汁と。なんて贅沢。。。してこなかったんだ?NYで!考えてみたらNYでもできたことだけど。やっぱり心の余裕が違うのでしょうか。

 でも食材の違いはやっぱり大きいと思います。納豆が今まで払っていた半分以下の値段で買えたり、味噌が、だしが、などなど、、、。使いたい食材がどこでもすぐに手に入るのが違いです。今までは地下鉄でで小一時間いったところにある日本食材屋まで仕入れに行っていました。買いたい食材も高くて買わないことも多々あったし、近くのスーパーで買えるもので代用したり。慣れてしまって気づかないことも多いけど、いろいろ工夫して料理していたんだな、と気づきました。海外に住むみなさん、みんな頑張ってますね。涙

 こうしている中、洗濯機は家族の服を綺麗に洗濯してくれたので干すわけです。うちは山の方なので、ベランダから山を見ながら美味しい空気を深呼吸してシジュウカラやウグイスの声を聞きながら洗濯物を干していきます。つい先月までは山桜が。今は新緑の鮮やかな黄緑色で山が覆われています。

ついでに布団も干して。乾いた服はお日様の匂いがします。布団なんかフワフワで程よくあったかくて布団を部屋に入れるタイミングで必ず子供達がそれを嗅ぎつけてやってきます。思いっきりふかふかの布団にダイブして気持ち良さそう。今までは布団なんて外に干せなかったし、洗濯物も基本的に外に干すことができなかったので、生乾きの服をヘアドライヤーやアイロンで乾かしたり、湿った布団に布団乾燥機かけたり、試行錯誤していました。それと比べると今はなんて恵まれているんだろう。

 買い物もオンラインで注文しています。うちは食材に少しこだわりがあるので、家族に紹介してもらった「生活クラブ」で一週間分の食材を買いだめ。他より割高かもしれないけど、美味しいし、ポリシーが好きなので利用しています。プラス足りないものはスーパーへたまに行く。くらいで済ましています。ピンポーン!とお兄さんが新鮮で美味しい、しかも地球に優しい食材を家まで届けてくれるので最高ですね。しかもこのご時世に。助かります。

 憧れのぬか漬けにも挑戦しています。キュウリのぬか漬けを朝、おにぎりと一緒に食べるのは最高です。隣の家から採りたての筍をいただいて筍ご飯を作ったり。

 お風呂は自動洗浄。ですが、さすがにそれくらいは自分でやらせてくださいと、自分で洗っています。それでも親切なお風呂さんはボタン一つでお風呂を沸かしてくれて、沸いたらお知らせしてくれて、それで一定の温度に保ってくれます。これは私が日本にいた頃から実家ではそうでしたが、アメリカ暮らし18年を経てみると、なんて進歩したお風呂文化だろうと思います。間違えなく世界ナンバーワンだろうな。

 でもやはりNYも恋しいです。あんなにレベルの高い音楽が集まっているのはあの街だけだと思います。あの一生懸命生きている街。アンテナが常に張っているような場所。今からすると、不便もたくさんあった生活だったけどあの頃があったから今、ここで自分が今の生活に感謝を覚えるというのもあるのかな、と思います。久しぶりに映画を英語でみたら、その夜の夢にはNYの友達がたくさん出てきました。英語を聞いたら私のチャンネルがNYにチューニングされたのでしょうか。

 先日家族を乗せて車を運転しながらふと思ったのですが(運転免許すら持っていなかったので)、去年の今頃に今ここにいる自分が想像できていたか。人生わからないものですね。

それがまたおもしろい。

自粛生活で何してる?

自粛生活が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか?SNSで世界中の友達がマスクしているのをみるとコロナの脅威を感じます。

 私たちは元気にやっています。私は相変わらずギグがブッキングできず、就活もままならず。大輔さんのツアーもツアー日程の延期や中止のアップデートの嵐。不安になる材料がたくさんあるのにも関わらず、なぜかいつも通りな私たち。今までジェットコースターのような人生を生きてきたので免疫がついているのかもしれないです。普通だったら旦那が4月から6月まで毎日家にいるって思ったら不安になるよね?笑。こんな時に今までの生活が役に立つなんて思ってもいませんでした。

 私たちは都内に引っ越したのですが、すぐ裏がこんな山になっているんです。ソーシャルディスタンスも心配はなさそうです。都会っ子の子供たちは深い森にビビってか、すぐ抱っこ〜となりますが、大人はマイナスイオンを浴びて自然の有り難みを噛み締めています。

 外出が自由にできなくなり、家で過ごす時間も多くなり我が家はこのチャンスに2歳の息子のおむつはずしに成功しました。やった!頑固者の息子くんで「トイレ行かない!」と言われてなかなか進まなかったトイレトレーニング。オムツをつけて幼稚園に行くことは免れました。自粛生活のおかげですね。コロナ自粛はトイレトレーニングにオススメ。

 家事が終わったらうちでは子供をほぼ放置して勝手に遊ばせて、親はレコーディングや練習に勤しんでいますが、たまには相手をしてあげています。この日は地元のはちみつ屋さんで買ったキットを使ってリップクリーム作り。普段使うものがどうできるのか、科学の勉強にもなります。

材料は蜜蠟、シアバター、ホホバオイルのみ。天然の体に優しい材料も嬉しいですね。チビたちは興味津々。工程は簡単。簡単に言えば、全ての材料を溶かして容器に入れるだけ。

出来上がり。

手作りって愛着が湧きますね。いい体験でした。何より家族と一緒に時間を過ごせるって幸せです。

 今日のオススメ動画は前回のインタビューの後編です。今回は私が歌い始めた経緯や日本に帰国を決めたこと、など話しています。一年前の今頃には自分がまさか日本で暮らしているなんて想像もしていない頃でした。人生わからないものですね。

 ということで今日はこの辺で。

緊急事態

 日本でも緊急事態宣言が出てからしばらく経ちますが、私の髪の毛が緊急事態になりました。

というのも、引っ越して出費が多かったのでまとまったお金が入ったら美容院に行こうと楽しみにしていてそんな間の外出自粛。美容院は営業しているようですが、やはり外出は極力避けているので断念しました。とは言っても私の髪の毛はほおっておくと増えるわかめのようにモサモサワサワサ増えていくので、やりました。

セルフカット!

生まれて初めて。子供達の髪の毛も最近は大輔の髪の毛もカットしてきたのですが、まさか自分の髪の毛を切ることになるなんて。

美容師さんの友達たちには怒られそうだけど、でも調べてみると結構セルフカットの仕方がネットで出てくるんですね。ザクっと潔く切りました。レジ袋が髪の毛でいっぱいになるくらい。誤魔化すためにカラーも自分でしました。あえて出来上がりの写真は載せませんが、初めての割には悪くないみたい。でも次は美容院行くぞ。

 ここで今日はNYから引っ越してくる前に収録してもらったインターネットラジオの前編を紹介します。「Tuesdays 人生は火曜日」という番組でNY在住のジャズミュージシャンたちのインタビューを音楽とともに楽しめる素敵な番組です。いつか出演したいな、と思っていたので夢が叶って(ここでもまた叶ったでしょ?)すごく嬉しかったです。今回は前編です。後編もあるのでお楽しみに。待ちきれない方はこちらからどうぞ。

ぜひ聞いてください。

 

願えば叶う

これはNYで1月に行われたライブ映像です。楽しかったな。とっても。ずっとこのメンバーで演奏してみたいと思っていたのが、NYから引っ越す最後のライブで実現しました。尊敬する大好きなメンバーと一緒にライブできるなんてミュージシャンとして生まれたら本望ですよね。

 実はここ半年くらい前に『こうして、思考は現実になる』(パム・グラウト)という面白い本に出会い、自分の思考を現実にしてみようという実験を重ねてきました。

ある時はコーヒー一杯。「48時間以内に無料で一杯のコーヒーを受け取る」と決めました。この実験では、48時間以内と期限を決めることがポイントらしいです。すると、二日後、娘の学校の朝のミーティングに出席をした時にコーヒーとパウンドケーキがふるまわれました。

「おお!」

調子に乗って次の実験をしてみました。ちょうど一人で地下鉄に乗っている時に花束を持った男の人が同じ車両に乗ってきました。「いいな、お花なんて日本でツアーをやるときか、母の日にもらうかくらいだもんな。そんなレアなプレゼントに挑戦してみるか」と「48時間以内に花束をもらう」と決めました。

すると、また2日後くらいのうちにピンポーンと先輩ミュージシャンが我が家へ遊びにきてくれました。彼女の手には大きなブーケが!ジュニパーと大きな蕾のお花(名前忘れちゃった、ごめんなさい)のブーケが!なんと粋なお土産でしょう!センスのいいプレゼントに感激していると、

「花束!」

また実験成功です。ニヤリ。

日本に帰る前、帰国は決めたのに住まいがまだはっきりしてなくて不安だった時。「48時間以内に家が欲しい」と決めました。神頼みに近いですね。大輔に実家からお義母さんが、「もうすぐクリスマスだけど、くりちゃんは何が欲しい?」(なんて優しいお姑さんでしょう。いつも嫁にプレゼントくれるんです。涙)と聞いてくださり、私はその時にレッスンで子供を教えていたので「100均かどこかのかわいいシールか、家が欲しい。」って伝えました。(シールも喉から手が出るほど欲しかったのです。アメリカにはかわいいシールが手頃な値段で見つからないんです。)半分冗談で半分本気で。すると48時間以内に住まいが決定しました。なので義母には「家は手に入ったので、シールが欲しいです」と伝えました。

 ある時はマイケル・ジャクソンがBADという曲のミュージックビデオの撮影で使ったブルックリンのとある駅があるのですが、14年も住んでいて一度も行ったことがありませんでした。引っ越す前に一マイケルファンとしてみておかないとな、と思っていたら、工事かなんかで地下鉄一度降りないといけなかったり、面倒臭い行き方をグーグルさんに案内されてふと見ると。そこはその撮影現場でした。

これは修行の成果というのか、実験を重ねてきて上手くなった例です。もちろん失敗もありました。

 やはり、私も人間なので欲しいものはお花、コーヒー!だけではありません。もちろんお金だって欲しい!なので「48時間以内に一本$2000のギグを手に入れる!」と決めました。すると一日経っても何もなし。制限時間が3時間後に迫った頃やっぱそんな現実離れしたこと起こらないよね、と諦めていた時でした。夏休みあけで久しぶりにあった友人が顔を出しに来てくれました。夏どうしてた?という話に花が咲き、彼は片手間にドライバーのバイトをしてたらしい。普段は$$もらっているんだけど、今回は州跨いでたから$2000もらったんだよね。と。

ん?$2000?

時計を見たらきっかり2日前のお願いを決めた時間でした。チッ、宛名が違ったか。そういうことも多々ありました。面白いでしょう?

音楽やりながら家事、子育てをしつつ、こんな宗教チックで怪しいことを実験している私ですが、今回のビデオのメンバーとのライブも実は私がお願いしたことの一つなんです。帰る前に、しかもレコーディングをしたいって決めたんです。実現しました。

 スタジオで音源のレコーディングではなく、ライブをカメラ5台も使って大掛かりな撮影の話が舞い込んできて、こんなに素敵なものに仕上がりました。撮影してくださったスタッフの方に感謝、感謝です。皆さんにも楽しんでいただけたら嬉しいです。

 願えば叶うものなのですね。

さて、次の願いは大掛かりになりそうだな、、、。

ただいま日本

 世界中でコロナウィルスの感染が広がり、不安で非日常感が不思議な毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?

こちらは前回のブログマラソンで力尽き、更新を怠ってしまいました。あれから目まぐるしく人生が変わってブログを書くという暇もなかったというのか。皆さんご存知の方も多いかと思いますが、2月1日から活動の拠点を日本に移しました。

 19歳で日本を飛び出し、18年間も留守をして、家族に帰国すると伝えると喜ばれるより先にビックリされるほど長いアメリカ生活でした。まさか自分のような現地に溶け込みまくっているタイプの人間が帰国することを考えるなんて思ってもいませんでしたが、ひょんなことからカチンと心のスイッチが完全に切り替わってしまったといえばわかりやすいでしょうか。私は何にも約束された仕事もないまま決断、行動に移してしましました。全て『感』で動いたようなものです。なんと危険な。

でも決断したら、物事がビックリするほどスムーズに進んで大輔にツアーの仕事、さらには住まいまでぽんぽんと舞い込んできました。飛行機のチケットだってうちは4人家族なのにマイレージで一人分のみの値段で帰ってこれちゃって。日本に呼ばれていたんですね、きっと。

 出発点はボストンにあるバークリー音楽大学、それからニューヨークで14年。行ってきます!と18年前に日本を飛び出してアメリカで修行をしてくる覚悟でした。ところが大輔に出会い結婚し、子供たちも生まれてまさか家族とニューヨークで生活しているだなんて当時の私には全く想像もできませんでした。人生何が起こるかわかりませんね。

 そしていろんな、いろんな、いろーんなことを経験して戻ってきました。まるで浦島太郎状態です。今は逆にニューヨークでの日々が2ヶ月前だったのにも関わらず、遠い夢だったような気もします。

 日本に帰ってきてまず衝撃だったのは、書類の嵐。住民票を入れたり、児童手当、健康保険、携帯電話の購入、引越しの荷物(と言っても3箱ですが)ベースの引き取りの手続、何回名前を書いたことか。アメリカだとオンラインが多いので書類に何かを書くということが日常では少ないような気がします。漢字も全然書いていないので字もきたなくなっていて、時差ボケと書かなければいけない書類の山にクラっと目眩がしました。しかも実家暮らしの子供のような時から18年間すっぽり日本社会から抜けていたので、役所の人が言うことも??ってことも多かったです。情けないことに家族に同伴してもらい、通訳してもらって難を逃れました。

そんな中、娘がインフルエンザに!そして大輔も!息子まで!そしたらわたしまで!それでまた母にまでも!恐るべき感染力に恐怖を覚えました。幸い、インフルエンザには薬があるので助かりましたが、コロナが流行る前に感染の恐ろしさを実感し、一週間の外出禁止を経験しました。

日本の新しい住まいは東京の西の山の方なので都心よりも感染者は格段に少ないですが、それでも街の緊迫感は日に日に強くなってきているのを実感します。私も外出は極力せずに買い物を週に1度ほど。子供たちも幼稚園にはいけないので庭で遊ばせています。大輔のツアーも全て延期になり、いつ再開できるのかわからない状態で、私もライブをブッキングなんてできないし、ミュージシャンとして生き残るには大きな方向転換を考えなくては、と考え始めたところです。

 時間ができてきたので、またちょくちょくブログを更新していこうと思いますのでお楽しみに。

 今日のお楽しみ映像は先週バークリーで一緒だった友人でありドラマーのAine FujiokaさんがベルリンからWomen in Music Japanのインタビューをしてくれました。その時のものです。(自宅より。)もしよかったら聞いてください。

https://www.youtube.com/watch?v=Lmtz8I1Nn_s&t=612s

 

Unite

Unite / 作詞・作曲 阿部大輔

おとうさんと
呼ぶ声振り返る
窓の奥を見れば
不安は消えて
笑顔が溢れ
一つになる

おかあさんと
泣き顔抱き寄せる
涙の後の頬
鼻水まみれで
笑いが溢れ
1つの君

おばあちゃんと
手を繋いで歩く
そのふるさとのこみち
私の心も子供に帰る
ひと時の夢

おじいちゃんと
呼ばれる、父親の
横顔見つめれば
そのやさしさが
身にしみて
ただありがとう

時が流れて
愛をつなげて
一つになる

時が流れて
愛をつなげて
一つになる

今回で大輔から無茶振りされ始まったブログシリーズ10日目が最終日となりました。お付き合いありがとうございました。アルバムの最後の曲は『Unite』です。今回は文章の前に動画と歌詞を載せてみました。聴いていただけましたか?歌詞は大輔が初めて書いたものです。最初に完成した歌詞を見せてもらいながら口ずさんでみると、ポロポロと涙が溢れてきました。(生理前だったからかな??)なんだか彼らしい暖かい歌詞ですよね。曲にもとてもあっていてメッセージが伝わってきました。できた当時はまさか大輔まで歌うなんて思ってもいなかったけど、結構いい感じに私たちらしく仕上がったと思います。

ちょっと前までの私はよく格好をつけていました。歌なんて人前で歌えたもんじゃないし、ありえませんでした。格好つけているのがかっこいいと思い込んでいたけど、子供を産んだ時にそれが一緒に自分の外に出て行ってしまったようで、それからは何も飾らなくなってしまいました。子育てに追われて飾っている暇がなくなったというのか。

誰々のようなサウンドを!とか誰々のようにかっこよくとか、あの子は売れてる!自分は早いフレーズが弾けない!とか、なんかそういう意識も出ていってしまったのか、肩の力を抜いて自分らしくいくことが1番なんじゃないかとようやく気付いた今日この頃です。誰のマネをしなくたって、自分が1番かっこいいんじゃないかってやっと思えるようになりました。楽でいいのです。

だから、今までは自分のことばっか考えていたので道で誰かに声をかけられてもツーンとしていました。今はそんな自分がいなくなってしまったので、街でもいろんな人と話します。格好つけていた時よりもより、毎日が楽しくなった気がします。

「時が流れて、 愛をつなげて、 一つになる。」

この歌詞の通り、時が流れたら親、家族、恩師、友人に感謝の気持ちに気づけるようになりました。そして愛をつなげ、世界を一つにできるように頑張ります。

なんて、まじめに今回のシリーズを締めくくってしまいましたが、また定期的に面白いネタを見つけてブログをアップしていくと思うので、お楽しみに!

CDのご購入はこちらのサイトからぜひお願いします。ストアには新たにオリジナル曲の譜面の販売も始めたので見てみてくださいね。ダウンロード配信(ハイレゾも含む)もあります。Apple Music, Spotifyなどのストリーミング配信もしていますのでぜひ聴いてみてください。

Dewa-mata!

Happy Thanksgiving! ということで今日アメリカは感謝祭でした。感謝祭はアメリカでいうお正月のような感じなのかな。家族みんなで集まって七面鳥を食べる日。次の月にはクリスマスでまたアメリカ人の家族は全員集合するんだなって毎年思います。

今日はNY生活14年目にして初めて、あの大きなバルーンが有名なサンクスギビングパレードに行ってきました。映画でも出てきますよね。特に『34丁目の奇跡』という映画が好きなので一度は見に行ってみたいけど、人混みが。。。という感じで毎年断念。寒いし、テレビで見た方がよく見えるし。周りにも行ったことあるニューヨーカーは誰一人いません。たった1人を除いて。

それは大輔くん。

独身時代にルームメイトと見に行っていたという証言が。意外でしょ?

でも今年は頑張りました!57丁目のカーネギーホールの近くから見たのですが、地下鉄を降りてセントラルパークに近づいていくと大きなパワーレンジャーのバルーンが!やっぱり本物は大きいな!でもそんな気持ちも萎えるくらいの人混み。娘は大輔が肩車。私もまんじゅうのように肥えた息子を肩車しようとしたら、彼は抱っこ希望。途中、変なポジションに行ってしまったのか、押し合いへし合い状態。もう帰ろうかと思ったけど、息子が大好きなキャラクターのバルーンを見て「チェイスきた!」と言うと、娘も大好きなキャラクターにだんだんテンションも上がってきたようでした。

無邪気に喜んでいる子供達には敵わなかったので、もう少し大人は我慢。そろそろ30分くらい経過して抱っこしている腕が限界になったけど、そんな時に前にいた人が動き、見やすくなる。そんなのを繰り返し、結局最初のスヌーピー以外多分全部見たと思います。娘はニコニコしながら踊ったりして、周りにいるどの子たちよりも嬉しそうにしてくれていたのが幸いです。でもやはり、バルーン大きいですね。調べてみたら4階建くらいの高さのバルーンも多かったみたいです。風が強くて持っている人たちは大変だっただろうな。セレブ(The ChicagoとかThe Black Eyed Peasなど)も結構いたらしいんだけど、私が肉眼でわかったのはTonight ShowのJimmy FallonとThe Rootsとサンタクロースくらいかな。(って言うか、またThe Rootsに会っちゃいましたね。恐るべし引き寄せ力。)バルーンもフロートも想像以上に早いスピードで駆け抜けていったので、ビックリでした。でも見に行っていい思い出になりました。

歩行者天国になっていたミッドタウン周辺。道がまっすぐなので気持ちがいいですね。

今回の曲紹介は、アルバムの最後から9曲目は『Dewa-mata!』という曲です。

大輔がバークリー時代のリサイタルで最後に演奏していたオリジナル曲です。息のあった夫婦サウンドが楽しめる一曲に仕上がっています。こういうパキッとした曲も楽しいですね。ギターとベースのパートが絡まった面白い曲。大輔にまた第2弾書いてもらおうかな。弾いていても楽しい曲です。

そう、今回頑張ってパレード見に行ったり、思い出作りしたのにも実は理由がありまして、今回のニューアルバムのタイトルと絡めてみました。

私たちNYに『Dewa-mata!』することに決めました。NYでたくさんのことを学んだインプット生活を卒業し、母国を拠点に学んだことを発信していくアウトプット生活にシフトすることになりました。新しいチャレンジにワクワクドキドキです。

みなさんこれからもよろしくお願いします!

Yozakura

ゆるく続いているブログシリーズも後半戦ですね。今日は8曲目の『Yozakura』について書いてみます。

この曲ができたのはさかのぼること10数年。UoUのメンバー全員がまだNYにいた頃ですね。しかも結成前か。マンハッタンのど真ん中のタイムズスクエアのすぐそばの昔からあるアルゴンキンホテルという由緒正しいホテルがあったのですが、そこでメンバーでピアニストの小森陽子ちゃんと2年間、毎週6日デュオで演奏していました。薄暗いホテルにはとっても大きな花瓶があって、いつも新鮮で綺麗な花が活けてありました。ダウンジャケットにお世話になる気候が半年ほど続くNYでは春の訪れの象徴であるお花がとてもありがたく感じます。

そんな春を感じ始めたある日、そのホテルの花瓶にはちょうどかわいい薄ピンクの桜の花が咲いた枝が活けてありました。ホテルはいつも薄暗く、その薄ピンクの桜の花が幻想的に見えました。そこでまだ名無しだったこの曲をこもちゃんと弾いた時に、夜桜にしようって閃いたんです。

まだ話に結びつきがないでしょ?実は 私ヘンで(よく知ってるか。)、音のイメージが色なんです。例えばキーがCメジャーの曲だと、うす〜い青とか。Dメジャーは黄色。Dbも黄色だな。Bbメジャーは赤。とかってなぜかわからないけどそんなイメージが抜けなくて。それが私の中のEbメジャーのイメージカラーは薄ピンク。夜桜(私の曲)はEbメジャー。

ほらね?薄暗い中にある薄ピンク。しかもこもちゃんが弾いてくれるイントロがまさに花びらが一枚一枚散っていくような可憐さがあってこの曲名がピッタリでした。って言うのが、誕生秘話です。

こもちゃんと2人で作った幻のアルバムに入っています。

今回の大輔・久里子のニューアルバムにはこの『Yozakura』の大輔バージョンが入っています。大輔君の心境は彼のブログに書いてありますね。そんなことを思っていたのですね。こっちも読み比べると面白いかも。大輔バージョンも日本の職人技が生かされたカスタムメイドのクラシックギターで和な雰囲気が出ていて繊細でいい感じに仕上げてくれました。気に入っています。これです。

聴いてね!